辰野金吾に関する質問

辰野金吾 「東京駅舎」とか古い写真でしか見た事はありませんが、「万世橋駅舎」や「浅草十....

「東京駅舎」とか古い写真でしか見た事はありませんが、「万世橋駅舎」や「浅草十二階」などの建物に惹かれます。明治期の建築物や辰野金吾・設計の物を教えてください。現存していなくても東京以外でもOKです。

  「東京駅舎」とか古い写真でしか見た事はありませんが、「万世橋駅舎」や「浅草十....の詳細

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>歴史

辰野金吾 次の漢字の読み方がわかりません!是非教えて欲しいです!「函内」「啓家」「西郷....

次の漢字の読み方がわかりません!是非教えて欲しいです!「函内」「啓家」「西郷従道邸洋館」「辰野金吾」「片山東熊」「漆喰」「曽禰達蔵」「左立七次郎」「蚕卵紙」「本郷喜之床」「半田東湯」「富岳」「啓蒙書」どうかわかるやつだけでもいいのでお願いします。

  次の漢字の読み方がわかりません!是非教えて欲しいです!「函内」「啓家」「西郷....の詳細

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>芸術、文学、哲学

辰野金吾 日銀モデルの建築写真を探しています。

日銀モデルの建築写真を探しています。辰野金吾設計の日銀のモデルとなったベルギーの中央銀行の写真。イギリスのネオクラシシズムがよく分かる建築写真。どちらもグーグルの画像検索で調べると、モデルが見たいのに日銀ばかりが表示されます・・・(--;ロバート・アダムのオスタレー邸がイギリスのネオクラシシズムをよく現しているとネット検索中に見つけたのですが、オスタレー邸の写真も見当たりません。かろうじて見つけたロバートアダムのバルトニー橋のデザインと近いんでしょうか?

  日銀モデルの建築写真を探しています。の詳細

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>芸術、文学、哲学>建築

辰野金吾 旅行をする予定です。

旅行をする予定です。福岡発で、博多ー小倉ー新山口ー広島ー岡山ー神戸ー大阪ー京都ー名古屋ー静岡ー横浜ー東京を、ひたすらJRで。(青春18です)建築物をひたすら見てこようと思うのですが、このルートで、あまりJR沿線から外れておらず、「これは見ておいた方がいい」と言えるものを教えて下さい。最終的に、最も興味が湧いた建築物を紹介して頂いた方にBAを。どうぞよろしくお願い致します。

  旅行をする予定です。の詳細

カテゴリ:地域、旅行、お出かけ>国内

辰野金吾 嬉野温泉に行きます。武雄温泉駅でバスに乗り継ぐのですが、かなり待ち時間があり....

嬉野温泉に行きます。武雄温泉駅でバスに乗り継ぐのですが、かなり待ち時間があります。駅の周りには時間がつぶせるような商店街とか施設はありますか?

  嬉野温泉に行きます。武雄温泉駅でバスに乗り継ぐのですが、かなり待ち時間があり....の詳細

カテゴリ:地域、旅行、お出かけ>国内>観光地、行楽地

辰野金吾関連エントリー

福岡市赤煉瓦文化館と辰野金吾氏

辰野金吾(たつのきんご)1854(安政元)年~1919(大正8)年設計・辰野金吾は、明治・大正時代の建築界の元勲、あるいは日本近代建築史上、最初の本格的な日本人建築家。建築家として、日本銀行本店や東京駅などの明治・大正を代表する壮麗な建築群を生み出す ...

福岡市赤煉瓦文化館と辰野金吾氏

辰野金吾

... 2 辰野金吾 いつも見慣れている風景の中にもドラマがある。先日東京駅のステーションギャラリーで開かれている「東京駅と辰野金吾」展に招待され、あわせて東京駅の見学をしてきた。 赤煉瓦の東京駅を設計した辰野金吾は安政2年生まれ。 ...

辰野金吾

辰野金吾の胸像

佐賀県の唐津出身で日本の建築界の礎を築いた 辰野金吾 の胸像。 旧唐津銀行本店 の2階に展示されています。 胸像はブロンズ製が普通ですが ... 唐津が生んだ建築界の巨匠たち』 【タグ】 唐津 辰野金吾 | 近代化遺産 建築 | 11:06 | comments(0 ...

辰野金吾の胸像

辰野金吾に関連して

クリストファー・アレグザンダー 「東京駅の建築家・辰野金吾伝」の「あとがき」に、辰野家の中に建築家がいて、それも若い女性だったことが印象的だった ... 横河民輔は辰野金吾の弟子でしたが、世代が変わって師弟の関係が逆転したというのは面白い。 ...

辰野金吾に関連して

東京駅の建築家・辰野金吾伝

... 辰野金吾、片山東熊、佐立七次郎、曾禰達蔵の4名でした。辰野金吾が唐津の出身であることは知っていましたが、2歳年上の曾禰達蔵も同郷だとは知りませんでした。この「辰野金吾伝」は、この2人を軸に展開していきます。西欧建築の教育を受けた彼らが ...

東京駅の建築家・辰野金吾伝

辰野金吾とは?

辰野 金吾 (たつの きんご、 安政元年8月22日 (旧暦) 8月22日(1854年10月13日) - 大正8年(1919年)3月25日) は明治・大正期の建築家である。工部大学校(現・東京大学工学部)卒業。工学博士、東京帝国大学工科大学学長、建築学会会長。
東大仏文科で小林秀雄、三好達治らを育てたフランス文学者、辰野隆は子息である。
1854年(安政元年)唐津藩士、姫松倉右衛門の次男として生まれる
1868年(明治元年)叔父の辰野宗安の養子となる
1873年(明治6年)工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学
2年終了後、造船から造家(建築)に転じる
1877年(明治10年)ロンドン出身のジョサイア・コンドルが造家学教師に着任

辰野金吾の詳細